Nansen-in | Kagoshima
大雄山南泉院 略縁記
Brief history of Nansen-in
南泉院は大乗仏教の母山と称えられる天台宗比叡山延暦寺の末寺である。
鹿児島市街地より北東へおよそ20キロ花尾連山の雄岳標高495メートルの山麓に位置し、春は桜、秋は紅葉、馬渡峠より遥かに薩摩富士を望む風光明媚な地にある。
近くには800年の歴史を有する島津家祖廟花尾神社、300年の一向宗禁制を物語る隠れ念仏洞などがあり、南泉院は歴史的遺産が点在する地域に、廃仏毀釈以来140年ぶりに薩摩の比叡山として中興開山された。
宝永七年(1710)第二十一代島津吉貴公は東照烈祖の廟を崇め東照宮の別当寺として、和州(和歌山県)吉野山学頭王院僧正智周を開山として創建した。
当時は新しく寺を建立することは禁止されていたので、鶴田村(薩摩郡鶴田町)の大願寺を移して開山したもので、東叡山第五世准后宮一品公辨親王より、大雄山仏日寺南泉院と称号を賜り、宝永七年四月祠廟及び寺院共に落成し、足利大将軍義満の手書きの「医王宝殿」の学を掲げ、寺格東叡山末寺常院室僧正の永地とした。寺領は五百石実相院、観相院、吉相院の三つの支坊を持ち三州天台宗の触頭として、藩内有数の大寺院となる。当時は府城(鶴丸城)の西(現照国神社)に相接し、後ろは鶴山(現城山)に拠り境内松杉鬱然として、殿宇の規制宏麗壮大にして紺碧日に輝き伝教大師の偉業を守り、顕密の法輪を兼学していた。
しかしながら、明治初年の廃仏毀釈(神仏分離令)により、藩内の寺院1,066ヶ寺全ては廃寺され明治九年(1876)九月五日「信教自由の布達」まで、一宇の寺院も存在しなかったのである。
当南泉院もその難を逃れられず廃寺され、爾来天台宗の寺院は再興されず今日に至っておりましたが、現住職宮下亮善師は昭和六十年(1985)4月、日置郡郡山町花尾の地に土地を求め寺院再興を開始した。天台宗開宗千二百年の三県(広島、鹿児島、沖縄)特別布教を期に平成十九年(2007)十二月十二日、鹿児島市花尾の新天地に「大雄山南泉院」として中興開山(寺籍復興)がなされた。
宗祖伝教大師の「一隅を照らすもの、此れ、則ち国宝なり」の遺教を流すべく聖地として今日に至っている。
大雄山南泉院 第十二世 宮下亮善